ジャッキー世代!
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ファイアー・ドラゴン
2006-04-24 Mon 17:29
龍在江湖

製作年度:1986
公司:徳寶
原題:龍在江湖/LEGACY OF RAGE
監督:ロニー・ユー
出演者:ブランドン・リー、マイケル・ウォン、レジーナ・ケント、チャーリー・チャン、マン・ホイ、ヤン・スエ、ン・マンタッ、谷峰、カーク・ウォン、シン・フイオン、ブラッキー・コー、ケン・ロー
一言:昨日関係各位の計らいで、ブランドン・リー(李國豪)に関する嬉しい映像を目の当たりにする機会に恵まれインスパイアされたので、今回はブランドン君がその生涯でたった一本だけ主演した香港映画について記す。
ブルース・リーの死から13年、ブルース・リーファンにとって唯一最大の希望であった愛息ブランドン君が遂に映画界へデビューすることになった。デビューの地は、"聖地"香港。当時ゴールンデン・ハーベスト(嘉禾)、シネマ・シティ(新藝城)に続く、香港映画界の新興勢力に躍進していた制作会社D&B(徳寶)と契約したブランドンは、安易に父ブルースの道程そのままを歩むことを良しとせず、敢えてクンフー映画ではない独自の路線で映画界を進もうとした。ミシェール・キング(ヨー)に続く看板スターを求めていたD&Bとしても、香港映画界に託された"龍の遺産"を最大限にバックアップするべく、彼らが揃えられ得る一線級のスタッフを用意し万全の体制で製作に臨んだ。監督は後にハリウッドデビューを果たすことになるロニー・ユーがあたり、スタントチームにはあのスタンリー・トンもいたらしい。だが、いまだブルース・リーの偉大すぎる影響下から抜け出せていない香港映画界、そして地元の映画ファンはやはりブランドンにブルース・リーを求めたのだった。しかし全てにおいてアメリカナイズされ、またまだ若くヤンチャ盛りだったブランドンにはその期待に応えることは不可能だった。そんな彼とブルース・リーの面影を求める"香港"との間には、この時点ではまだまだ埋め難い大きな隔たりが存在した。そんな状況で撮られた映画は、決して駄作ではなかったが、かと言って傑作とも言えなかった。同年の『男たちの挽歌(英雄本色)』の大成功の影響を多分に受けたと思われる作風はいささかオーソドックス過ぎ、また銃火器をメインとしたアクション、復讐を核に展開する凄惨なストーリーは、観客の求めるニーズとは一致しえなかった。少なからずブルース・リーを意識したシーンを垣間見せてくれたことは、ブランドンから我々ブルース・リーファンへの嬉しいプレゼントだったが、個人的にも本作にそれ以上のモノを感じることは出来なかった。D&Bはミシェール・キング共演による次回作をブランドンのために用意していたとも聞くが、それが実現することはなく、"香港"に自分の居場所を見付けられなかったブランドンは傷心の帰米を余儀なくされたのだった。既にブルース・リーが死して10年以上の歳月が流れていたものの、あのブルース・リーの息子と言えば、香港でもそしてプロモーションで訪れた台湾でも、彼らの英雄である父親のことばかりをうんざりするほど聞かれただろうことは想像に難くない。
その後数年、苦労して遂にハリウッドメジャー主演の座を掴んだブランドンは晴れやかな表情でこう言った。"香港映画のアクティブな部分は好きなので、ハリウッド映画でその味が出せるように頑張ります"と。さらに自身のアクションについて、"父やジャッキー・チェンのアクションを参考に自分の映画に取り入れた"とも。そう言い残したブランドンの悲劇的な死から数年、ハリウッドはこぞって香港映画的アクションを取り入れた作品を製作していくことになる。正にブランドンが言っていたその言葉を、ハリウッド全体が実践しているかのように。しかし、大ヒットとなったそれらの作品に本来主演しているはずだった彼の姿を我々が目にすることは、もはや永遠に叶わなくなっていた。映画界は、そして世界中の映画ファンは、ブルース・リーの息子というだけでない、かけがえのない大きな存在を失ってしまっていたのだった。
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